「AKIRA(大友克洋)の何が凄いのか分からない」
この疑問は若い漫画読みなら一回は通るであろう疑問だと思う。
なのでエラソーに解説させてもらう。
大友は漫画を発明したのである。
「え?漫画を発明したのは手塚治虫でしょ?」
そう殴りかかられるのはわかっている。
だけどちょっと待って欲しい。
手塚治虫の漫画。鉄腕アトム、火の鳥、ブラックジャック、ブッダ、どれでもいいので読んでみよう。
明らかに今の漫画と違うでしょ?
- セリフが多い
- コマが多い
- 書き込みが少ない
- 地味
こういった印象を多かれ少なかれ受けるはず(もちろんそれが良いか悪いかとか、内容が面白いかどうかとか、そういうのとは全く別にして)。
となると、どこかでこの潮流が変わっていった訳ですな。
で、この変化はゆっくりと変わっていったのではない。
はっきりと、大友克洋の前後で違うのだ。
「台詞は減らし、コマの強弱にメリハリをつけ、描き込みは緻密に。派手に派手に」
こういった現代の主流の漫画スタイルを作り出したのが大友克洋なのである。
言ってみれば、手塚治虫以降が漫画第1世代、大友克洋以降が漫画第2世代。
そして間も無く平成が終わる今も、第2世代が続いていると僕は思っている。
大友克洋の発明は、進撃の巨人やゴールデンカムイまで地続きで繋がっている。
大友克洋の漫画は今の漫画と有意差がない。
そこに古さを感じるとすればそれは絵柄や世界観や時代感覚であって、
構図や書き込みといった漫画の土台を形づくるものは今の漫画と変わらない。
その土台の上に乗っかっているものが進化していっただけ。
ストーリーの型が神話の法則の時代ですでに完成されてしまっているのと同じように、漫画の型は大友が1980年代初頭に完成させてしまっている。今のところ。パラダイムシフトはまだ起こっていない。
そう言ってもまだ過大評価だなんだと言われるだろうから、もう少し付け足したい。
大友克洋のフォロワーで最も成功した例は何か?
攻殻機動隊?
松本大洋?
そうじゃない。
ドラゴンボールとジョジョの奇妙な冒険である。
そしてこの二作が、その後のすべてのバトル漫画に多大に影響を与えたことは言うまでもない。
すなわち大友克洋が後世に残したものは、コアなSFやガロ系芸術漫画などではなく、今みんなが読んでいる王道バトル漫画なのだ。
もし大友がいなかったら?
鳥山明は西遊記のパロディ漫画の人気に火が点かず、Drスランプでこしらえた資産とドラクエのデザイナー業務で半隠居、
荒木飛呂彦はバオー 来訪者打ち切りとともにジャンプからフェードアウト、
ジャンプ黄金期は訪れず、漫画業界はいまと全く異なる様相を見せていた可能性がある。
大友は漫画で世界を変えてしまったのだ。
AKIRAは格好いい漫画だが、その作品の内容を追うだけでは大友克洋の功績の本質は見えてこない。
だから大友克洋の凄さは理解されないのだ。
・・・あれ、MEMORIESの話をしようと思っていたのにAKIRA以前の大友評になってしまった。
続きは次回!→書きました
世界をガラっと変えてしまった結果、後世の人がそれを認識できないって、めちゃめちゃかっこよくないですか?
第1回: 大友克洋が漫画界に残した功績について
第2回: 映画「MEMORIES」の感想
第3回: 海外の漫画事情と大友克洋
第4回: 「AKIRA」以降の大友克洋
第5回: 大友克洋待望論はなぜ定期的に湧き上がるのか