赤坂真理「東京プリズン」感想。参考書と娯楽作品と文学の違いとは?

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今日は2012年の文学界を震撼させた小説「東京プリズン」について、感想・解説・レビューをしたいと思います。

東京プリズンは入門書的である

戦争は、悲しく恐ろしく悪いこと。

我々日本人は、子供の頃からそれを徹底的に教えこまれてきた。しかし、そのような日本に漂う反戦圧の源流は、皮肉にもアメリカによる洗脳教育にあったのだ!

そう解体してみせた著書として、分かりやすい所で言えば小林よしのりの「戦争論」などがあります。

今作品「東京プリズン」も、先の戦争の再精算がテーマです。

「昭和天皇に戦争責任があるかどうか」プレゼンをすることになった主人公マリ。戦争についての知識がなかったマリは勉強し、太平洋戦争を解体していきます。

太平洋戦争とは何だったのかを学べる小説

参考書や入門書によくある形式として、読者の分身となるキャラクターが登場し、そのキャラクターが勉強する過程を追うことで、読者もまた学ぶってのがありますね。

東京プリズンは、その構成に類似しており、どこか入門書的です。

実際この小説を読むことで、第二次大戦、日本、アメリカ、東京裁判、戦後教育等々を一通り知ることができます。

しかし、それでもこの小説はあくまで教科書ではなく、紛れもない小説なのです。

東京プリズンは物語的である

では物語と教科書の違いは何でしょうか。

一つには、物語性があります。

「東京プリズン」は、極めて上質なエンターテイメントとして仕上がっています。

興味をそそる設定、序破急、伏線、対立、葛藤、成長・・・

物語を物語たらしめる要素が至るところに配置されています。

セカイ系

まず設定ですが、ずばりセカイ系ですね。

セカイ系。主人公の個人的な問題と、世界の命運とがオーバーラップする構成の物語。

マリのディベートと東京裁判とが重なり合うこの小説は、紛れもなくセカイ系です。

葛藤と成長

東京プリズンは、人生やり直しの物語でもあるんです。

大人になったマリが、心のしこりになっていたアメリカ・メイン州在住時代の自分と不思議なコンタクトを取るところから物語は始まります。

タイムリープものが好きな僕には結構びんびんくるものがありました。

主人公の心の動き、成長、そういった面からもこの作品を楽しむことができます。

対立構造

またバトルものでもあります。

単身アメリカのハイスクールに乗り込んだ日本人の主人公マリは、当然太平洋戦争の日本人の、あるいは戦後の一般的日本人のメタファー。

真っ向からイジメを受けたりするわけではないですが、常にアメリカからの抑圧を受ける緊張感が、ページをめくる手を止めません。

最後には、安全なところから終始日本をチクチク責め立てていたクラスメイトや先生に一矢報います。

これらを高度に成立させた東京プリズンはエンタメとして実に完成度が高い。

ロジックは破綻していてもいい

その代わりと言ってはなんですが、物理法則はめちゃくちゃです。

主人公は、夢・幻聴・幻覚・妄想を見まくりますし、物語の多くがそれらとのコミュニケーションによって前に進んでいきます。

作品が作品だったらタブー以外の何者でもないでしょう。

しかし、自己を幻覚というかたちで外部化することによって、物語性を高める効果を持っています。

そして、小説だから、情報量が削減されているからこそ、作中の現実、主人公の妄想、そして史実とが奇妙怪奇に重なりあう感覚を覚えることができる。

これは漫画や映像では難しい。

どうしても画的に地味になってしまうし、映像は非合理性がありのまま映し出されてしまいがちだからです。

小説の魅力の一つに、読者が都合よく解釈できるというところがあるわけです。

文章力

赤坂真理は芥川賞候補作品(ヴァイブレータミューズ)も輩出している純文学作家であり、もとは社会派ではなく退廃的な恋愛を描く作家で、やはりその表現力、描写には驚かされます。

仰々しい表現がないのに、物語を進める勢いがある。

ここまでウダウダ言いましたが、要するに、面白いということです。

東京プリズンは文学的である

そして、東京プリズンのもうひとつの魅力として、単なる娯楽作品に終わっていないという点が挙げられます。

Amazonの書評を見ていると、「意味が分からない」「結局結論は何なの?」という意見が散見しました。

そのレビューこそがこの作品の超娯楽性を総括しているのですが、どういうことか解説してみましょう。

結論も大事だが、それに至るプロセスも重要。

まず「結論は何?」についてですが、この主人公は一応の解答は出しています。

ではなぜ一部の読者には「で、結局何が言いたいの?」のような圧迫面接官のようなことを言われてしまうのか。

それは、天皇の戦争責任に関する結論を出すために、「自己とは何か」という議題を経由したためです。

それが、結論に対する理解を困難にしています。

ですが、結論の難しさこそがミソなのです。

天皇の戦争責任を問うために、東京裁判をやり直すために、持ちだされる理論は法律や社会科学だけではありません。

人文学、哲学、ジェンダー、宗教、実在、・・・

そういった領域にまで踏み込んで解きほぐしていかなければならなかったわけです。

葛藤をどう乗り越えるか

そう、これは天皇の戦争責任だけではありません。

白黒付けるのが難しいテーマにチャレンジすると、大抵はこのような、繊細で微妙で難解な結論に着地してしまいます。

これは何も政治・社会に関する問題に限りません。結婚、就職、人間関係・・・ありとあらゆる種類の葛藤に言えることです。

娯楽作品における葛藤の越え方

これが単純な娯楽作品は、それにどう向き合うでしょうか。

難しいテーマがスパイス的に使われることはありますが、結局はどこかの時点で悪が暴走し、それを最強の能力を覚醒させた主人公が成敗する。

そうして物語は収束していく。

それは確かに爽快感はあります。

そういう形を取らないと、多くの読者は理解できないし、作者は描ききれないし、ストーリーとしても歯切れが悪くなり、手に汗握れません。

これが売れる作品を作るコツです。

葛藤の境界線を綱渡りすることこそ文学

しかし一方でそれはどこか煙に巻かれているような気がする。

掲げられた複雑なテーマに対する洞察は深まらないまま読者は本を閉じることになる。

現実には暴走する悪はいないし、自分の能力が覚醒する様子もない。

そんな現実世界で、我々はどんな理想を持つか、あるいはどう処世するか、自分に出来ることは何か。

それを知りたいわけです。

そのヒントになるような作品に面白さを覚えるわけです。

一言で言えば、読者の人生へのコミット。

それがあるかどうかが、単なる娯楽作品を越えた感動を生み出します。

僕は、東京プリズンにはそのポテンシャルがあるように感じました。

読後感もよく、ものの見方を変えてくれるような、

作品に描かれたテーマについてしばらく考えていたくなるような、そんな作品。

東京プリズンはファウスト系?

書いている最中に気付いたのですが、「ファウスト系」に近いかもしれません。

現代的な手法を用いて、現実を深く抉り出そうとする、そんな小説。

まとめ

東京プリズンは、戦争小説であり、SF小説であり、社会派小説であり、宗教派小説であり、歴史派小説であり、一人称小説であり、中二心をくすぐる要素は満載。

ヤング系の漫画を好きな人がもう少し深い話を読みたくなったら、すっと楽しめると思う。

僕がまずそうだったから。

毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部文学賞受賞。

文庫版、Kindle版は以下のリンクからどうぞ。

「モテたい理由」 赤坂真理が女性ファッション誌について書いたエッセイ。これも非常に面白かったです。

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