「日本人に宗教はあるのか?」日本一わかりやすく説明する

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なぜ海外では無宗教はNGなのか

宗教とは「マナーの根拠となるもの」であることをすでに述べた。

マナーがない社会では、全員が不幸になる。

よってマナーを言語化して教育する仕組みが必要で、その役割を担ったのが宗教なのである。

欧米は多民族国家であり、不問律は通用しない社会である。

よって、マナーの根拠も示す必要がある。

「無宗教である」というのは、「自分にはマナー(の根拠)がありません」と言っているものと見なされてしまう。

世界の三大宗教は、教えだけを切り取ると、大した差はないように見える。

それこそが、宗教を持つこと自体に意味がある証だ。

だから異教徒はOKでも、無宗教や意味不明な新興宗教の信者はヤバイ人と見なされてNGなのである。

日本人は無宗教でもまあいいんじゃないか

だがそれはあくまで多民族社会の都合であり、日本社会はそうではない。

日本人が特定の宗教を信仰していないからといって、聖書やコーランや般若経に書かれているようなことをできていないかといえばそうではないはずだ。

家族、学校、会社、あるいはフィクション。

それらが日本人に絶えずマナーを植え付ける。

キリスト教圏は大航海時代から第二次大戦にかけて全世界を手中に収めていったが、すでに一定水準の倫理規範を持っていた民族にはキリスト教は根付かなかった。

日本もそのうちの一つなのである。

黒人、アボリジニ、インディアン、アジア人に虐殺を始めとした非人間的な扱いを行ってきたキリスト教徒たちに、特定の宗教を信じてないなら倫理観がないというレッテルを貼られる筋合いなどないのである。

ちなみに宗教の教えに差はないと述べたが、これについては二宮尊徳も言及している。

「世の中に本当の真理はただ一つしかないが、その真理に近づく入り口はいくつもある」

結局日本人は、社会から不問律を学ぶ過程で真理=マナーを身につけているのである。

そういう意味では、日本人は無宗教と言える。

マナーの根拠は宗教ではなく、日本人全員が漠然と持っているマナーなのだから。

マナーの根拠が中央集権的であるか分散的であるかの違いだけである。

そして、個人の自覚的入信というものは、ほとんどの日本人にはない。

そういう意味でも無宗教的だ。

とはいえ、日本にも宗教はある

ではそれでも無宗教以外の回答をしなければならないとしたら何と答えるべきか?

倫理規範としては、儒教が一番近しいように思えるが、目に見えないものに対する価値観を与えるものではないため、宗教と言えるかは疑問だ。

死生観としては、仏教と神道のブレンドと言える。

輪廻転生や因果律は仏教的な考えであり、自然信仰や死者を祀るという考え方は神道に基づく。

そういった意味では、自覚的入信をしている以外の大多数の日本人は、宗教を選択する余地があると言える。

欧米式に則るなら、どれか一つを選ぶことが望ましいが、それは「選ばないことを選ぶ」神道とは本質的に食い合わないものなのだ。

参考文献。宗教を知ることは、自分のことを知るきっかけにもなります。

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ABOUTこの記事をかいた人

漫画家&ブロガー集団。現在、新都社にて完全無料WEBコミック「間の間」を連載中。年齢や国籍にとらわれない、自由な人生を夢見て日々飄々と面白いことやっていきます。