是枝裕和「誰も知らない」を改めて知ってほしい【邦画最高傑作の一つ】

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是枝裕和という人

是枝裕和の「万引き家族」がカンヌ国際映画祭の最優秀賞を受賞した。

存命の日本人映画監督で世界を唸らせてきた人といえば宮崎駿、北野武、そして是枝裕和の三人だろう。

その中では一般層には他の二人ほど知られてこなかった是枝裕和が、最も権威ある映画祭の最優秀賞を受賞し、永遠に名前が残っていくことを本当に嬉しく思う。

「誰も知らない」について

「誰も知らない」は是枝の名前が世界に知られるきっかけになった映画である。

柳楽優弥はこの映画でカンヌ国際映画祭の男優賞を最年少で受賞し、そして狂っていった。

それでも最近は復調してきて嬉しい。

思い出

あるいは僕が一番衝撃を受けた映画だ。

初めて観たのは高校三年だったか浪人時代だったか。

受験ストレスで感受性が高まるに高まっていた頃だ。

今まで見たどの映画とも違った。

役者が大声で泣いたりしない。突然でかい音楽が流れたりしない。紋切り型の説教もない。

全ての表現が、とにかくわざとらしくないのだ。

暗いのに明るい、静かなのに雄弁

だけど全く地味じゃない。

それどころか、映像が美し過ぎた。

無意識のレベルで求めていたものを、あまりにも完璧な形で表現されていたのだ。

芸術とは何か、それを知る術も語る術も何も持っていなかったのにも関わらず、この映画の魅力はいくらでも伝わってきた。

暗いシーンもあるけど

主人公・明が仲良くなった友達が明の家でやりたい放題。

弟妹たちは居心地の悪さを表情に浮かべる。

挙句に中学生になった友達は明を見捨てる。

このシーケンスはあまりにも辛過ぎる。

だけどなぜか、この映画を観た後にもっとも覚えているのは光だ。

光を使った表現があまりにも美しかったのだ。

ストーリーそのものの暗さと、光の表現の美しさとの対比に酔ってしまったのだ。

映画のポテンシャル

語らない部分に意味をどれだけ乗せることができるか。

それが映画のポテンシャルを決めているように思う。

主張を言葉にして明示するなら、わざわざ作り話である必要はないし、映像である必要もない。

「誰も知らない」のメッセージ性

では「誰も知らない」に込められたメッセージは何か。

「誰も知らない」と言うタイトルの通り、これは「僕ら」の物語ではない。

あくまで僕らとは無縁の人物の物語である。

親の愛情を受けられなかった子供のためだけに作られた映画ではなく、普通に育った僕らのような人間に語りかける映画である。

親に捨てられたの痛みを自分の痛みのように感じるような作りにはこの映画はなっていない。

「他人」

だけど無視できない。

コンビニ、ランドリー、公園、学校。

彼らが一歩アパートから出ると、広がるのは僕らの生活空間そのものである。

一切共感出来る部分を持たない他人。

しかしその他人が、僕らのすぐそばにいるかもしれない。

精神的な繋がりのない赤の他人に、手を差し伸べることが出来るか。

それを僕らに問う映画だ。

改めて光について

とはいえ、この映画が僕の心に刻んだものは、痛みや苦しみや社会的メッセージなどではなく、あくまで光である。

表面的な言葉で、心の表面を撫で散らかして終わる作品とは全く異なる。

光は僕に何も語り掛けない。

だが、ふと土曜日に街中を歩いているとき「あ、この景色『誰も知らない』みたいだな」と思ったりもする。

そこから無限の思索が始まる。

あの日スクリーンで観た光は、形を変えて僕の生活で顔を出す。

おわりに

「日本映画史の最高傑作」を語る際に、黒澤明や小津安二郎の名前を出すのはわかる。

だがこの失われた20年、ガラパゴス化した文化ばかりが発展していく中で、世界の芸術の第一線や日本映画史の最高傑作に孤軍奮闘して肉薄し続ける作家、是枝裕和をもっと知ってほしいと思う。

誰も知らないの視聴方法

「誰も知らない」は、2018年5月現在、ネット視聴が可能です。下のリンクからどうぞ。

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