こちらの記事の続きです。
漫画と文学が切り離されたとき
ところで、大友克洋が「漫画を大人が読むものにした」という論評を見かけるがこれには僕はあまり同意できない。
むしろ大友克洋は、漫画を文芸から決定的に切り離した存在であると思っている。
例えば手塚治虫や萩尾望都の作品は十二分に文学的であるが故に「漫画でなくてはならない必然性」というものが必ずしもない。
当の大友克洋自身も後続の漫画に比べるとまだ西洋芸術に対するリスペクトがあったと思う。
「AKIRA」は「電気羊はアンドロイドの夢を見るか(ブレードランナー)」、同時代だが「ニューロマンサー」のフォロワーであるし、「MEMORIES」の「最臭兵器」は「博士の異常な愛情」の影響が見られる。「大砲の街」や「スチームボーイ」はスチームパンクそのものである。一貫してハイカルチャーを漫画やアニメに翻訳した人である。
だが、そういったハイカルチャーへのコンプレックス的な要素は、大友以降むしろ漫画・アニメから排除されていった。その後の漫画は、漫画同士の相互参照を続けて鋭利化していった。編集部という商業主義のサラリーマンや、刺激を求める大衆とともに。
漫画家たちは一つ上の世代の漫画に憧れて漫画を描き血みどろのバトルロイヤルを繰り広げていった。
こうして日本独自の漫画カルチャーが誕生した。
日本が世界に誇る「MANGA」と言えば、大友や鳥山およびそのフォロワーが生み出した漫画であり、手塚治虫・石ノ森章太郎時代の漫画は、少なくとも現役時代に評価されることはなかったのだ。
その点でも大友克洋の功績が伺えるのではないだろうか。
欧米と日本の違い
最後に、欧米と日本のカルチャーの根付き方の違いを解説しておく。
西洋は貴族階級、中産階級、労働者階級の格差が大きく、各階級の間で文化が生まれる。同じ国から前衛芸術とヒップホップが生まれる。
日本はそのような文化的な分断が少なく、大衆がそこそこ金を持ってる国なので、カルチャーもその構成員全員にとって楽しいと思えるものが人気になる。
漫画はその最たるもので、 小学生、工場労働者、都市部のエリートが同じ作品を鑑賞するなんてことも当たり前にある。
漫画もドラマも映画も音楽も、西洋で流行ったものを日本風に翻訳するという試みがなされてきたが、時代が進むにつれ、どんどん西洋の文化とはかけ離れた独自文化が生み出されていったのだ。
続きます。次はAKIRA以降の大友克洋について触れます。
第1回: 大友克洋が漫画界に残した功績について
第2回: 映画「MEMORIES」の感想
第3回: 海外の漫画事情と大友克洋
第4回: 「AKIRA」以降の大友克洋
第5回: 大友克洋待望論はなぜ定期的に湧き上がるのか