AKIRAまでの大友克洋と、それからの大友 〜「MEMORIES」を改めて観て思ったこと(4)

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こちらの記事の続きです。

AKIRA以降の大友克洋

「それからの大友」と銘打っているのにもかかわらず、 全くAKIRA以降の大友克洋の話をしていなかったのでする。

大友克洋と鳥山明は非常に似たクリエイターである。

圧倒的な表現を生み出して実質的に漫画を再発明した漫画家。一方で人間の内面を掘り下げることやストーリーを作り込むことに対する意識は高くなく、それぞれAKIRA、DRAGON BALL以降は半隠居状態である。

大友・鳥山以降の漫画がどのように進化したか?

漫画表現ではなく、内容が進化していった。

人間を丁寧に描ける作家、あるいはどんでん返しを次々に描ける高度なストーリーテーリング能力を持つ作家が時代をリードしていった。その始祖である荒木飛呂彦、井上雄彦、冨樫義博は2010年代もバリバリ現役である。

また90年代以降、日本の成長に陰りが見えてくるにつれて、能天気に他人を助ける漫画よりも、自己の内面世界を掘り下げる作風が人気になった。

漫画だけでなくほかの媒体でも、村上春樹、Mr.Children、宮崎駿など、技術が高いだけでなく、自己の内面世界を丁寧に描いた作風が好まれた。

で、これらは大友や鳥山が得意とする作風ではない。彼らはそんな時代の流れを理解した上で、自分の得意領域であるデザイン+ハードSFを追求していく。

僕が彼らのヒット以降の活動を偉大だと思うのは、彼らが「鳥山ブランド」「大友ブランド」を毀損しないことである。引き際を誤らず、変に時代に合わせて作風を捻じ曲げず、Dr.スランプ、ドラゴンボール、AKIRAといった遺産を保全する活動を行なっているからだ。

鳥山明のCOWA!、カジカ、SAND LANDにあたるものが、MEMORIES、スチームボーイ、火要鎮である。そこにDRAGON BALLやAKIRAを期待して観賞するのは間違いなのである。だって時代が違うのだから。

それにもかかわらず大友克洋待望論のようなものが定期的に湧き上がるのはなぜか?

それは次回(まだ続くんかい)

第1回: 大友克洋が漫画界に残した功績について
第2回: 映画「MEMORIES」の感想
第3回: 海外の漫画事情と大友克洋
第4回: 「AKIRA」以降の大友克洋
第5回: 大友克洋待望論はなぜ定期的に湧き上がるのか

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