「主人公に自己投影するのは恥ずかしい」と言う人は、結局のところ「自分はどうありたいか」という自己から逃れられてない!

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「ヒーロー・ヒロインに自己投影するのは恥ずかしい」という考え方がある。

これは男性に限った話ではなく女性のオタクにもよくある論争である。

腐女子は夢女子のことを「ヒロインに自己投影している恥ずかしい人」と揶揄することがよくある。

だけどここはあえて夢女子の方の立場に立ちたいと思う。

大事なのは何を与えられるか

「ヒーロー・ヒロインに自己投影するのは恥ずかしい」という考え方の持ち主は、結局のところ「自分はどうありたいか」という自己から逃れられてない。

これは複雑化したエゴイズムだと思う。

結局、人間はどこまで行ってもエゴからは逃れられない。

瀬戸内寂聴を見ろ。出家したところで英語から自由にはなれない。

ではナルシシズムからどうやって救われるか?

その答えはダルビッシュにある。

さすが平成最高のピッチャー(要議論)ですわ。

それな!!!!!!!

エゴを捨てようという方向性じゃなくて、友達や家族や恋人に具体的に何を与えられるかに頭を使う方が、俺も健全だと思うよ。

人に何かを与えるのって、マジで難しい。

油断してると、苦労したり傷ついたりすることが目的になってしまう。

どこまで行って自己満足との戦い。

だからさ、「自分はどうありたいか」じゃなくて「自分は他人・社会に何ができるか」に俺は頭を使う。

別に自分が可愛くたって全然いいじゃん。

だから思い切りヒーローやヒロインに憧れて、 今はダメダメでも、そこに近づけていけばいいんだと思う。

何よりもカッコ悪いのは、SNSで愚痴や悪口を言って誰かを引き摺り下ろすことだと思うんだけど、どう?

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ABOUTこの記事をかいた人

漫画家&ブロガー集団。現在、新都社にて完全無料WEBコミック「間の間」を連載中。年齢や国籍にとらわれない、自由な人生を夢見て日々飄々と面白いことやっていきます。