「ぼくらの勇気 未満都市」の第6話が、物語の教科書だった

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実例

「ぼくらの勇気 未満都市」 第6話

あらすじ

20歳になると死ぬ閉鎖空間で、まもなく20歳を迎えようとしている男がいた。
彼の趣味はギターだったが、閉鎖空間には弦の切れたギターしかなかった。
彼は自分の死を悟り、絶叫するが、
それに対してヤマト(堂本光一)はそれが他の人間の不安を煽っていることに気付き、
「死にたくないのは皆同じだ」と突き放す。
ヤマトは外の世界の人間と交渉し、一つだけ欲しいものを手に入れる権利を手に入れた。
閉鎖空間では食糧不足に喘いでいた。

以下ネタバレ

結局ヤマトは全員に土下座をする。
交渉に失敗して何も手に入れられなかったと。
しかしそれは嘘であった。
ヤマトはギターの弦を選択したのだ。
それを二十歳の男に渡した。
その時のヤマトの表情はとても複雑なものであった。
結局ヤマトの土下座に打たれた子供達は、リーダーとしてヤマトを選択する。

教訓

聖書ではこれを「見失った羊の譬え」という。
他の全員を少しずつ助けることよりも、
危機に迫った一人を助けることを選択することをよしとする。

損得を無視して全員の得を無視して一人の人間を救う。
それが結局は全員の心を打つのだ。

全員の救いになるのがこの人だったら最後まで見捨てずに助けてくれる。

しかしそういう思想を好まない人もいる。
どういう人かというと、常に救われない、救われる側に立つことがない人だ。
そういう人は自分は我慢をしている、いい子にしていても報われない、そう考える。
兄弟の長男家長女がよく陥る辛さだ。

だから救う側の人は目に見える辛さだけではなく、目に見えない辛さにまで目を向ける必要がある。
真に助けるべき人は必ずしも目に見えた辛さを抱えたわけではない。

一方で、救われる側は助けを求めるべきである。
結局手のかかる子の方が可愛いと言うのはある程度真理なのである。
電車でおばあさんに席を譲る子供は偉いとされるが、
気を使って最初から席に座らない子が褒められることはない。
完璧な対応よりもクレームをうまく処理したホストの方が好まれる。

普通に働いてる人の税金や保険料は増える一方で、更に権利も次々と奪われていく。
その結果が昨今の世界の右傾化である。

声の大きい人たちの暴走は止まらない。
リーダーは、聞こえざる声に耳を傾けなければならない。
ドナルド・トランプは、聞こえざる声を掘り当てたからこそ、大統領になったのである。

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