ラベリングは差別、という意識が日本人には足りない
「職場のゆとり世代と被る」とか「ゆとり世代を見下し過ぎ」とかなんか賛否両論あるみたいなんですけど。
僕はそもそも論で「ゆとり世代」というくくり自体が差別じゃねえの?と思います。
当たり前だけどその世代にも色んな人がいて、ゆとりじゃない世代にも色んな人がいるわけです。
それを「世代」くくりでこき下ろすなんて、アメリカなら「差別」として憲法違反です。
だいたいからして多少授業数が減ったからといってどのような社会人スキルへの影響があるというのでしょう?誰もエビデンスを提示できないはずです。
ゆとり教育を辞めたからといって学力や意識が元の水準に戻ったなどという話は聞いたことがないし、ゆとりによって望むべく効果が得られないが故に中断された施策じゃないんでしょうか。
まあこんなこと激しく糾弾してもしょうがないんですけど、これを通して思うのは「日本人は差別に無頓着」だということです。
不当に他者を定義付けるというのは現代社会ではかなり乱暴な行為なはずです。
「関西出身だからおもしろいはず」「かわいいからモテるはず」「ハゲてるから絶倫なはず」「貧乏だから不幸せなはず」などなどとりあえずラベリングしないとコミュニケーションを始められないというのはなんとも差別的で窮屈じゃないですかね。
まあ「金髪の人はEXILE好き」などはだいたい合ってますけど、「言われて嫌な思い」することもそんなないかなと思います。だって「好き」なんだし。
その辺の線引きは難しいけれども、ラベリングに対して無法状態というのは世界的に見てもう先進国の在り方ではないような気がします。
世の中多様化してるんで、多様性を受け入れる社会になっていってほしいです。
ちなみにB型の僕はA型の人によく怒られます。
「ドクターX」は2017年10月現在、Amazonビデオで視聴可能です。
ライター:たろう
就職氷河期世代の申し子。