ホリエモン・落合陽一 vs. 田原総一朗・政治家たち
朝まで生テレビのAbemaTV版「スマホで朝生」を鑑賞。
AIが仕事を奪うとどうなるのか
ホリエモン・落合陽一は、AIがどんどん仕事を代替していくと主張
前半は、現在進行形でどんどんAIは仕事を奪っていくという話。
ホリエモン(堀江貴文)と、現代の魔術師・落合陽一が主となって話を進めています。
この人たちは危機感を煽るのが仕事の人たちなので、真っ赤な嘘は言ってないとはいえ、あくまでポジショントークだと分かった上で聞くのが正しいスタンス。
YouTubeのコメントでは田原総一朗や政治家たちに対し厳しい意見が見えるが、これもあくまでホリエモンキッズや落合キッズが吠えている程度に見るのがよろしい。
まあでもそれだけ、今の若者は既得権益に対して怒っており、その気持ちを代弁してくれる人間をフォローしているということですよね。
田原総一朗はホリエモンのロジックを指摘する
ホリエモンの言うことは、すなわち格差の肯定。
ですがもちろんただ弱者は死ねと言うだけではないです。
経済格差が起きたとしても、切り離されるほうにとって損ではないと付け加えます。
「ベーシックインカムや生活保護だけで楽しく生きていくことができる社会はAIが作ってくれるから」だという。
この意見自体には賛否あるでしょうが、それ以前に気になる点があります。
当のホリエモンはそのようなスローライフを送ることなく、せっせと働き、切り離される側からの脱出を図っているという点です。
田原総一朗は即座にそのホリエモンのロジックを見抜き指摘します。
「自分が頑張ってるのに人に寝てろというのはおかしい」と。
ただやはり、ホリエモンの頭の回転の速さは目を見張るものがあります。
そこで即座にマトリックスの例えを挙げました。
「眠っているままの人も多い。真実を追いかけるために心地よい世界を捨てる人もわずかにいる。そして自分はたまたま後者だったというだけだ」と(原文ままではない)。
少子化が進む
AI・ロボットの普及でどうなるか。
個人的にはっとしたのは、「少子化が進む」という点です。
AIやロボットが増えることで、労働力が必要にならなくなります。
その結果、今の世界人口は必要なくなります。
「少子高齢化は止めなければならない」「出生率を2以上にしなければならない」「結婚して子供を作らなければならない」というのも、過去の価値観なのかも。
AI時代の生存論
前半はAIは仕事を奪うという話、中盤は脱線して政治の話。
後半でようやく、「君たちはどう生きるか」という議論が始まった。
そこでの議論を、以下に纏めます。
カネの価値が下がる
ホリエモン・落合が口を揃えて言うのは、結局カネの格差は問題にならないと言います。
働く気力のない人は生活保護(ベーシックインカム)で暮らすなり、パトロンを見つけるなりすれば良いと。
金がなくても幸せになれる。
ホリエモンは「コミュニケーションの格差」こそが問題になると主張。
コミュ力・知識・知恵のない人に金だけ渡しても詐欺師に巻き上げられてしまうという。
モチベーション格差
落合が言うのは「モチベーションの格差」です。
ようは「やりたいことを見つけなさい」ということが言いたいようです。
やりたいことがない人は、生きる意味を見失っていく。
やりたいことを見つけ、どんどん議論しアウトプットしフィードバックを得て育てていくことが大事だという。
パラダイムシフトが起こる
経済格差は問題にならなくなる。
今の価値観での勝ち負けはなくなる。
すると、カネの価値というものも怪しくなってくる。
有事のために貯金をしていれば安全、という考え方で目を瞑って生きるのも危険なのかもしれません。
今から準備する、ということはできない
いずれにせよ「これさえやっておけば大丈夫」というものはもはやなく、どんなスキルも陳腐化します。
だから最後のほうで、ホリエモンは「今から準備するのは間違いで、その時々でやりたいことをやる」を勧めるのです。
議論まとめ
今回の議論を要約すると以下の通りになります。
- どんな仕事が無くなり、どんな仕事が残るのかは誰にも分からない。
- だから、今から準備できることはない(あまり先のことを考えてもしょうがない)
- 仕事を新しく作るモチベーションを持つべき。
- そのためには、まずやりたいことを見つける必要がある。
- ただ、見つけられない人・見つける気がない人が死ぬことはなく、そういう人の生き方も整備される。
豊田真由子について
ちなみにこのビデオには裏の見どころがあります。
「このハゲー、違うだろ」事件前の豊田真由子の出演です。
僕の感想としては、「なんだかんだ豊田真由子(というか政治家)の適応力はすごい」です。
ビルゲイツ財団の話をした時は、「THE・自民党の政治家らしい、古い価値観の人間で、ホリエモンらの当て馬として呼ばれたんだなあ」と思ったものでしたが、
議論の後半ではしっかりホリエモンらのポジショントークと現実の政治との折り合いを見つけようとしていました。
これぞ議論というものだな、と感心しました。