今日もインターネットでは、現場を無視した理想論ばかりが、うずだかく積み上がっていく
僕は説教にはあんまり感動しない。
何故なら口ではどうだって言えるからだ。
いつだって行動に興奮し感動する。
言葉だけ見てたら、そりゃどんどん綺麗事をうずだかく積み上げたもの勝ちになってしまう。
いや、言葉に感動することもあるが、それは言葉そのものに感動するのではなく、その言葉の背景にある人生に感動するのだ。
だからこそ、ペラペラな説教は、その裏にあるペラペラな人生が垣間見えてしまい、萎える。
「君たちはどう生きるか」について
君たちはどう生きるか(漫画版の方ね)、ぼくにはまっったく合わなかったんだけど、あれを見たときの強烈な違和感もそこ。
出てくるキャラクターもストーリーも全てがメンタルメンタルしてて気持ち悪い。
いや、戦前の児童書としてはいいのかもしれないけど、現代の啓発本としてのこの漫画が100万部売れる現状は、繰り返すが気持ち悪い。
思想ばかりを肥大化させるとこの漫画の登場人物みたいな思想になる。
僕も経験があるからわかる。
そしてそのころの自分は全然幸せではなかったし、今に繋がっていない。
結局誰も救うこともできない。
だからこの漫画、ぼくは危険な書だと思います。
じゃあどうすれば良かったの?
鍛えればいいじゃん。
強さなき正義は無力なので。
この漫画は精神の強さを説くけれど、だったらその根性を使って身体を鍛えるなり根回ししていじめっ子をぶっ潰すなり抑止力を持てばいいだけの話。
Don’t think, feel
「考えるな、感じるんだ。指を見るな、その先にある月を見よ」
言葉を言葉通りに受け取ったり、哲学が肥大して身体が鈍ってきたら僕はこの言葉を思い出してる。
君たちはどう生きるかなんて読むより、ブルースリーを見た方が絶対に人生に効く。