「理想の世界」にはウラがある
「悪い人間を葬り去れば、きっと素晴らしい世界が訪れる」
デスノートを拾った夜神月はそう思った。
同じように、「この世界は間違っている、こんな世界があったらいいのにな」という妄想を誰しもが多かれ少なかれ考える。
ユートピアというものだ。
理想の世界。
だがそんなユートピアは、そのままディストピアでもあるのだ。
エネルギーは有限なので、ある人間を救済すれば、必ずどこかで綻びが現れる。
ユートピアとディストピアはコインの表裏であり、ユートピアはディストピアになり得る。
ユートピアの素晴らしい面だけを語るのは、どこか嘘くさく感じてしまう。
夜神月の描く世界や、政治家の演説を聞けばそれは明らかだ。
とはいえ、安易な現状肯定はつまらない。
そもそも現状に不満があるから理想の世界を描いているのに、それでは本末転倒だ。
では、「理想の世界」を描いた作品は、どうやってオチを付ければいいのか。
基本は現状肯定へ回帰
こういった作品では、最後にはディストピアは排除され、現状肯定に回帰するのが基本だ。
なぜなら、作品でディストピアが勝利したところで、読者は「間違っている現実」に帰らなければいけないわけで、真の意味での救いがないからだ。
なので「現実に何らかの反省を促す」というのがディストピアの役割であり、その役目を果たして消え去るのが美しい。
その反省の内容は劇中で描かれなくても良い。そこは読者がそれぞれ考えれば良いことだ。
世界にピリッとスパイスをあたえ、そんな世界を少しだけ好きになれるような作品こそが基本的には望ましい。
本当にユートピアを実現したいのであれば、物語として描くのも良いが、理論武装してインターネットで発信するなり、賛同者を集めて共同体を作るなり、政治参加をするなり、実際にコミットメントを試みたほうが良いだろう。
ただ現実が追いついてしまうことが増えた
とはいえ、現状回帰が絶対の正解なのかといえば、一概に言うことが難しい時代になってきている。
そもそも物語に絶対の正解など存在しないのだが、とくに昨今は時代が加速度的に移り変わっている。
ディストピアが、単なるディストピアでなく、数年単位で実現してしまうことがあまりにも増えた。
アメリカ国民の描いたディストピア
一つの象徴は、アメリカ大統領選のトランプ勝利だ。
「とにかくなんでもいいから現状体制をぶっ壊してほしい」「既得権益の思い通りにさせたくない」という、
一部のアメリカ国民の描いたディストピアは、なんと現実のものとなってしまったのだ。
八年間のオバマ政権と、そのあいだのグローバルIT企業の台頭によって、アメリカ国民はディストピアへとひた走っていってしまったのだ。
日本人の描いたディストピア
もうひとつは、日本の恋愛や結婚に対する価値観の大きな変化だ。
昨今、独身はおろか交際経験なしも当たり前になり、ゼクシィですら結婚を奨励するのを遠慮するようになった時代。
美少女(年)アニメやアイドルグループに普通の大人が当たり前のようにのめり込むようになった時代。
そんなディストピアをいち早く書いていたのが、本田透(電波男)や花澤健吾(ルサンチマン)である。
彼らは、今から10年以上前に、「二次元に傾倒すること真実の愛」というディストピアを描き、しかもそれを最後まで否定することなくその世界観を描ききった。
当時の世間のマス層はそのディストピアを受け入れられなかった。
世間が支持したのは、最後は恋愛へと帰結する物語(すなわち電車男)である。
ディストピアがものの十年で実現してしまったのだ。
そして、ディストピアは、実現してしまったら最早ディストピアではない。
少なからず頭を切り替える必要がある。
ナショナリズムやアイドルに傾倒することがリアルで、
グローバリズムや、一夫一妻制こそが、ディストピアになりつつあるのだ。
ジャンプが輩出したディストピアものの最新作。衝撃の展開が続きます。
言わずと知れたヒット作。恋愛もののトレンドの変化を思い知らされる。