※ネタバレなしです。
概要
第159回、平成最後の芥川賞受賞作は高橋弘希の「送り火」に決まりました。
堅い小説です。久々のTHE 芥川賞と言ったところでしょうか。他の候補作は読んでいませんが、選評を見る限りこの作品が本命だったのでしょう。
親の転勤で少年が田舎の中学校に転入する、というところから物語は始まります。
島田雅彦は選評でこう語っています。
ここに描かれているのは津軽という地名はあるものの、何処か別世界、異空間、あるいはタイムスリップして紛れ込んだ別の時代なのだ
言い得て妙で、終始ただの田舎町ではないヤバさを感じさせます。
見所は何と言ってもクライマックス。「正体不明の罰ゲーム」に巻き込まれていく主人公の描写は見事。
選評を見ても、暴力や狂気の描写に対して高い評価が付けられています。
感想
ただ個人的には好みではなかったです。
設定や展開が些かベタすぎると思ったのです。
「田舎の閉鎖的なコミュニティの中に入ってくる無機質な主人公。その主人公を媒介にして、昨日と同じ今日を過ごしていた子供達に事件が起こる」
この構成は非常にゲーム・漫画・テレビドラマ的で、言ってしまえば異世界に飛ばされるライトノベルと相似形です。
また、暴力描写と対比されるかのように、ホームドラマ・田舎の牧歌的な風景・料理などが描かれますが、これにもお約束感を覚えました。
小津安二郎や是枝裕和の映画を見ているようでした。
最後の展開は熱いのですが、顛末としてはよくあるところに落ち着いた印象。
選評を見ても、テーマや登場人物の人間性に関する評価はあまり多くなく、とにかく描写を評価する傾向が見られました。僕も同感です。
僕が文芸に求めるもの。それは自由さ
全体的に自由さをあまり感じない文藝でした。
僕が文藝に求める自由さ。
それこそ、「火花」や「コンビニ人間」の方が、僕は自由さを感じることができました。
文藝の面白さは、人間をとことん掘り下げることができる点。それこそが商業主導の作品では出来ない文藝の魅力。
僕はそう思っているだけに、若干物足りなく思いました。
とは言えこの描写力が生きる舞台はやはり文藝だと思うので、描く対象にもっと切れ味があれば、恐ろしい小説が誕生しそうな予感がします。
もう一回読んでみます。
文学について少し語る
芥川賞受賞作品を読んで、「起伏がなくてつまらない」「何だかよく分からん・・・」と言って文学のことを嫌いにならないでほしいです。
作品の底が見えない、それこそがむしろ文藝の面白さの一要素なのですから。
文藝を読むとき、合わせて「文学とは何か」を考えることを勧めます。
多くの日本人にとって、芥川賞こそがほぼ唯一の文学との接点になると思います。
しかし、文学とは何かを知ることは、文学でないもの、例えば漫画やアニメなどをも知ることだと思うのです。
文藝をちょっと学ぶと、そう言った普段楽しんでいる娯楽もまた違った角度で見ることができると思うのです。
漫画やアニメの中に隠れた作者のこだわりを見出すもよし、キャラクターの哲学を考察するもよし、「あ、ここはあまり練られてないな、あるいは売れるために描かれた妥協点だな」とアラを探すもまた趣深い。
文学そのものの面白さを噛み締めることはなかなか簡単なことではないと思うのですが、間違いなく一段メタな視点から娯楽作品を楽しめるようになるので僕は強くお勧めしたいです。
芥川賞受賞作は、単行本で読むもよしですが、文藝春秋の方を読めば選評も乗っているのでそちらもぜひ。
選評で気になったコメント
「作者は読者の要求に応える必要など、何もないのですから。それこそが、小説を書くということの風通しのよさなのですから」(川上弘美、「送り火」に対して)
「松尾氏はこの小説も大勢の観客たちのために書いているから舞台を見上げる大勢の観客としての一人として読むとたいそう面白い。でも、著者と読者として一対一になった途端、少し物足りなさを感じてしまった」(吉田修一、『もう「はい」としか言えない』に対して)
次回は、『ニムロッド』の解説を行っています。