呼吸をするようにブログを書くということ

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はじめての台湾旅行。

SNSで知り合った台北人と麻雀を打って生姜の塊の入った鍋を突いたあと、僕はひとり高雄へと向かう。

新幹線の中で、僕は世界の環から垂直に離れていくような感覚を覚えた。

外国で新幹線に乗るのは思ったより怖いことだ。

電車やバスなら乗り間違えても引き返せる。しょっちゅう間違えている。

自分の不甲斐なさへの憎しみとともに来た道を戻ればいい。

だが新幹線は一度乗れば、もう引き返すことができない。

帰りのチケットは持っていないし、終電も無くなっている。

あるいは飛行機なら、間違った便に乗ろうとすれば確実に止められる。

パスポートを持って時間を守れば確実に搭乗できる。

シンプルな話だ。

だが、新幹線はそうではない。

ローカルな陸路は、その国のルールに従い敷かれる。

国がノーと言ったらノーなのだ。

下手すれば、ノーとすら言ってもらえない。

僕の理解できない現地の言葉で、ひっそりとシャッターを下ろすかもしれない。

僕は、その国のルールなど知らず調べず、祖国のルールだけをアテにしてその電車に飛び込んだ。

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中心都市から離れる。

台北と高雄を結ぶ心の距離は、東京と台北を結ぶ距離よりも長かった。

新幹線の揺れがそれを掻き立てる。

いつもだったら平然と無視する休日の仕事の連絡が、急に僕を不安にさせる。

この一日で使った金額。

言いたいことが言えなかった後悔。

人を傷つけ傷つけられた過去。

将来への不安。

何も見えない窓の外。

急に孤独感は頂点に達し、記憶の糸が連鎖していく。

眠ろうにも眠れない。昔から寝付きの悪い質なのだ。

食べたものは消化し初めの段階にあって、酒を呑んでも悪酔いしそうな調子だ。

旅行中に読んでいる文庫本にも身が入らない。

そこで僕が始めたことは、パソコン代わりに使っているiPadとマジックキーボードを取り出して文章を書くことだった。

昔から、僕は孤独を埋めるために文章を書いていた。

人は祈るときに言葉を紡ぐ。

文章を書くことは、神のいない国に生まれた僕にできる祈りのようであり、

あるいは、祖国の人間がなによりも寵愛する労働というやつにも似ている。

「何かした気になりたい」

言ってしまえばそれだけなのかもしれない。

僕は、手紙を書けば読んでくれるであろう身の回りの人たちに向けてでなく、会ったこともない誰かに向けて、文章を書いている。

昔から顔の見える人に向けて文章を書くのが苦手だった。

いつだって自分の無意識に響かせるように僕は言葉を紡いできた。

世界の果てで、僕は日常に帰っていた。

ブログを書くことは紛れもない僕の日常。

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