漫画村騒動から考えるべきことは「作者としてどうあるか」のみ!
一連の漫画村騒動は、一旦鎮静したようだ。
色んなネット民が、「僕が考えた最強の漫画村対策」を提案しているが、あまり意味がないと思う。
僕は出版社がどうあるべきかとか、政府は海賊版に対してどう対策していくべきかとか、そういったことにはあまり興味がない。
それは素人が考えても仕方のないことだ。
業界に直接携わる者たちが頭をひねって結論を出して行動すればいいことである。
僕はいつだって「読者がどうあるべきか」あるいは「作家がどうあるべきか」だけを考えている。
ちなみに読者がどうあるべきか論はこちらの記事で書いたので、興味があれば読んでみてほしい。
今回は、作者がどうあるべきか論である。
時代は変わった。生き方を選べる時代へ
時代は漫画家にとって冷たくなったか?
いやそうではない。
旧来の「漫画家」は以前ほど羽振りが良くないように見えるが、依然として漫画の需要は大きい。
そしてそれに対する供給が多すぎるのも、別に昔と変わらない。
じゃあ何が変わったのか?
旧来のビジネスモデルが古くなり、
そこを更に突き詰めると、多様な生き方が可能になったということだ。
なぜその生き方を選んだのか?を問われる
だが多様な生き方が可能になったということには代償がつきまとう。
その一つが「なぜそれを選択したのかをより深く問われるようになる」ということである。
君たちはなぜ漫画家になりたいのか
漫画家になりたい?
あなたは最終的に何を目指しているのかそれをまずはっきりさせておく必要がある。
まず、漫画を描くのが好きなだけなのであれば、別にプロの漫画家になる必要はない。
これだけネットが普及した。いくらでも表現の場はある。
読者に刺さるものを生んでいれば、確実にリアクションは得られるだろう。
それでもなお何故あなたは漫画家になりたいのか?
お金のためなら、いくら欲しいのかをはっきりさせること。
「ボランティアでやるつもりはない、あくまで対価をもらってこそ、真に価値のあるものを生み出すことができるからだ」
その意見は正しいと思う。
価値のあるものを生み出したい。資本主義において価値とはカネである。
で、じゃあいくらほしいの?
どれだけの時間を費やして、どれだけのお金が欲しいの?
生涯かけて10億円欲しいのか、本業にプラスして年間100万円を稼ぎ出したいのか。
それによって戦略など180度変わってくるのだ。
あるいは本当にそもそも自分は漫画が描きたいのだろうか? というところも自問自答してやる必要がある。
少年に夢を与えたい?それをなぜ君がやる必要があるのか。
少年に夢を与えたい?
そのモチベーションは立派ではある。
だが、そう思っている人は世の中にごまんといる。
幸い、あなたがそこに加わらなくても「少年の夢」の供給は今のところ止む気配はない。
その思いが誰よりも強いと思える根拠はあるだろうか?
そもそもなぜ漫画なの?
あるいは、自分にしか書けないテーマを見つけ出して、世間にピリッとした刺激を与えたい。
そういう人も多いだろう。
だがその刺激を、本当に世間は求めているのか?
真に自己完結してしまっているものは、他人には刺さらない。
それを他者に向けて発信する意味はなんだ?
加えて、何故漫画という媒体を選ぶのかの必然性も考えるべきだ。
それは誰よりも漫画が好きだからだ。
自分は誰よりも漫画を読んで、愛してきた。
なるほど。
だったら漫画評論家になればいいじゃないか。
そうではなく漫画を描きたいと思うのは何故?
何故?何故?何故?
どうしたいのかをはっきりさせなければ夢は叶わない
自分は最終的にどうありたいか。
そこをはっきりさせれば、作品も自ずから逆算してできてくる。
多様な生き方が可能になったということは、自分にとってのベストな生き方というものを突き詰めなければならない。
読み手としても、より多様な表現を求められるようになったし、みな自分の代弁者を求めている。
タイトルに戻ろう。
成功する作家としない作家の違い、
それは、自分にとっての成功を正しく定義しているかどうかだ。
成功する作家は、誰がどう思おうが、自分の求める成功に向かって一直線にひた走り、栄光を手にする。
漠然とした成功を追い求めている人は、時代に振り回されて、いつまでも蜃気楼を追い続ける羽目になる。
これから先、漫画家という職業はさらに解体されていく。
残るのは純粋なコンテンツだ。
何故? を徹底的に掘り下げて、それでも漫画を描きたいという気持ちが残るのであれば、君の夢は叶うだろう。
逆に言えば、そんな深い自己分析と市場調査をすれば、形はどうあれ誰でも健全に作品を表現できる。
昔のように、圧倒的な才能と、人生を捨てる覚悟と、編集という会社人からのプレッシャーを耐えぬく精神力がなければ、作品を発表できなかった時代とは違う。
そういう時代であることを僕は嬉しく思うけどね。