評価が難しい
賛否両論あった「天国ニョーボ」をやっと読んだ。
うん、確かに色々考えてしまう作品だ。
20年続いたよしえサンシリーズのシメとしては、少々思ってたのと違う感は否めない。
闘病中に思ったこと、やったことをありのまま描いたのであろうが、SF、料理、医療制度への問題提起など、雑味が多い。
泣きたい読者にとっては、これらの要素は邪魔になったのだろう。
だけど、僕はよしえさんを見て泣きたくはなかった。
僕とよしえサンとの出会い
僕は漫画を買ってもらえない家に育った。
なのでコロコロやジャンプやマガジンを読む機会などはなく、僕は少年時代へたまたま読む機会があった作品で人格形成をした。
「カイジ」「MASTERキートン」そして「気分は形而上」の3作だ。なぜか名作に恵まれた。
一応説明しておくと、「気分は形而上」とは須賀原洋行の連載デビュー作にして最大のヒット作の4コマ漫画である。「天国ニョーボ」まで続くよしえサンシリーズは元は「気分は形而上」の1コーナーであった。
僕はS先生とよしえサンの半生を追ってきた人間である。
だから欲を言えば笑って送り出したかった。
それがかえって感動を呼ぶものなのだと思う。
須賀原洋行は、風刺と実録ネタが中心とはいえ、ギャグ漫画一本で35年間やってきた作家だ。
笑って送り出すということ
先日、桂歌丸の追悼笑点を見た。
笑って見送る。
やはりそれが芸に生きた人間の見送り方として一番正しいと僕は思う。ただし天国ニョーボの場合、芸に生きたのはS先生であってよしえさんではないのが事情を複雑にはしている。
だから、この漫画の初期の「天国からのニョーボの視点で描く」という手法は新しい切り口だと思った。ここはあまり評判が良くないようだが、僕は悪くないと思う。ここの風呂敷を畳んでいればもっと笑える、もっと泣ける、 もっと感慨深い、そんな作品にもできた気もする。
S先生自身が消化できていないんだなと思った。
というか、読者である僕でさえ受け止めきれない突然の訃報。
長年連れ添っての大往生とは意味が違います。
消化して、パッケージングされた物語にできるのは、いつになるか分かりません。
「天国ニョーボ」の魅力
だがそれでも僕はこの漫画を評価したい。
作者自身の戸惑いがリアルに感じられたからだ。
作中に登場するダンナの戸惑いでなく、それを描いているS先生の戸惑いだ。
打ち切り、路線変更。
そもそも何故長年描いてきた講談社でなく、小学館での連載となったのか。
パッケージングされていない生感。
その迷い自体が現れていることこそリアルである。
そこに畏怖を抱いた。
全てが作者の計算から生まれなくてもいい。
偶然の産物が含まれていてもいい。
そう意味ではこの作品は成功していると思う。
やはり僕もまたS先生の漫画を20年読んできた身だからであろうか。
次の作品に続けばいいなと思う。